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私と日本共産党
鈴木まさのり
学校の教師になりたいと岐阜大学教育学部に入学した18歳の6月に、私は初めて日本共産党の存在に出会いました。知り合った先輩学生が共産党員で、日本共産党の歴史や理念、方針といったことを丁寧に語ってくれたのです。かつての日本がアジア・太平洋地域を侵略した戦争に、当時の政党で唯一、日本共産党だけが文字通り命がけで反対を貫き通したこと、そのために多くの党員が弾圧の犠牲になったけれど、屈しないで戦後も同じ名前で活動を再開し、国民主権と平和を守る旗を敢然と掲げ続けていること――その事実の一つひとつが初めて知ることで「こんな政党があったんだ」と新鮮な驚きを感じながら、私は父親のことを思っていました。
1928年生まれの父は、すでに故人となりましたが、あの戦火のもとで勤労動員され戦後も家族を守って必死に働きづめで「学校に満足に行けず勉強する機会がなかった。お前たちはとにかくしっかり勉強しなさい」というのが、私たち子どもへの口癖でした。若い日々にどんなに勉強したかっただろうか。その自由を奪われた父の悔しさを思い、そうした無数の「父」たちの自由のために命がけで反戦のたたかいを貫いて決して揺るがなかった日本共産党の「すごさ」を思いました。
私利私欲からではなく人々のために、正義と真実を貫いて絶対にブレない政党。権力におもねらず国民主権の旗をどこまでも掲げ続ける政党。それが日本共産党なんだと深く納得して、その一員となる人生を選びました。
それから28年。この党とともにある人生をかけて、私は一人でも多くの方々に、国民のくらしと平和のために徹底的につくすのが日本共産党という政党ですと、語りかけて生きたい。この思いを熱くたぎらせています。
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